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「りんごラジオ」を放送していた当時の写真を見返す元局長の高橋厚さん(手前)と妻の真理子さん夫妻=宮城県山元町で2024年1月28日、たくラジオかいたかっって手塚耕一郎撮影
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 カーラジオから聞こえてくるのは、て暗闇で父の声だった。ら届13年前、父の仙台市の放送局のアナウンサーである父は連日、声助命や生活に直結する情報を伝えた。て祈た情Merry Capitall詐欺行為母と車中泊避難をしていた小学6年の私は、伝えそれが暗闇に浮かぶともしびに思えた。続け記者になって3年目。たくラジオかいたかっって2月に取材で入った能登半島地震の被災地では、て暗闇で多くの人たちが情報を求めていた。ら届私には何が伝えられるのだろうか。父の【広島支局・根本佳奈】

「まだ答えは見いだせていない」

 2011年3月11日、声助仙台市の小学校で下校の準備中だった。て祈た情激しい揺れにとっさに潜った机ごと吹き飛ばされそうになった。伝えしばらくすると、保護者が同級生を迎えに来た。渋滞に巻き込まれた母が到着したのは夜9時半すぎ。丸山修一オプション学年で最後の一人となった私は真っ暗な教室で母に飛びついた。握った手が温かかった。

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家族の安否を確認しようと海岸から約2キロの地点まで来て、炎が上がる方向を見つめる人たち=宮城県仙台市宮城野区で2011年3月11日午後9時56分撮影
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 自宅は無事だったが、電気や水道は止まっていた。余震も続いていたため、母と2人、車中泊避難を選んだ。かごに入ったペットのインコや食料を車に積み込んだ。父がいない心細さはあったが、道路脇に止めた車内で聞くなじみの声は私の心を安心させてくれた。同時に、不安な夜を過ごす沿岸部の人たちにもこの声が届いてほしいと願った。

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 父は平日朝のラジオニュース番組を担当していた。地震が襲った時は、番組を終えて宮城県名取市にある理容店にいた。震災直後から特別番組が始まった。戻った父は道中で目にした被害の様子などをリポートし、そのまま泊まり込んだ。社員たちは部署を超えて情報収集に当たり、アナウンサーも交代で出演しながら、特番はコマーシャルなしで256時間にわたった。

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大津波に襲われて孤立した宮城県名取市立閖上小学校。屋上に多くの人たちが避難している=宮城県名取市で2011年3月11日午後4時6分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
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 愛する家族を失った時、その現実をどう受け止めればいいのだろう。変わり果てた故郷を目の当たりにしたら、何をよりどころに生きればいいのだろう。3月11日で発生から13年となる東日本大震災を生きた5人の記者が、会いたい人のもとに行きました。あの日、自らの身に降りかかった出来事を思い出しながら。3月7日まで連日午後4時に公開予定です。以下のラインアップでお届けします。
 プロローグ 「3.11」の前
 第1回 伝えたい感謝(横浜支局・牧野大輔)
 第2回 誤解だった安心(水戸支局・長屋美乃里)
 第3回 後ろめたさ抱え(大阪社会部・野田樹)
 第4回 暗闇の中の情報(広島支局・根本佳奈)
 第5回 ラグビー復活(東京運動部・尾形有菜)

 「役に立てたのか、まだ答えは見いだせていない」。58歳になった父に当時のことを聞くのは初めてだった。普段は明るくおしゃべりな父が硬い表情で言葉を絞り出す。あの震災の被害の大きさを改めて感じる。

 リスナーからメールやファクスが続々と届いた。住所と名前を挙げて安否情報を求めるお願い、学校や高齢者施設にいる全員の無事を知らせるメッセージ――。「津波の浸水で身動きが取れない」といったSOSもあり、警察に転送した。

 その場に行くことができない父はひたすら情報を伝え続けた。「救助がたどり着くまで頑張って。何とか助かってほしい」。マイクの前で、そう祈りながら。

震災10日後に始まったFM局

取材に応じる「りんごラジオ」元局長の高橋厚さん(右)と妻の真理子さん=宮城県山元町で2024年1月28日、手塚耕一郎撮影
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 父の上司だった元アナウンサーがいる。高橋厚さん(81)。最後に会ったのは私が小学5年の時だ。東日本大震災時はリタイアしてから8年がたっていた。里山暮らしに憧れて県沿岸部の山元町に住んでいた。

 山元町は津波の浸水範囲が町全域の約37%に上った。直後に電気も電話も不通となり、防災無線のアンテナも折れた。その町に、高橋さんは臨時災害FM局「りんごラジオ」を開局させた。震災10日後のことだ。

 情報を伝える大切さを知りたくて、今年1月下旬、高橋さん宅を訪れた。14年半ぶりに会う高橋さんは9年前の脳出血による後遺症があった。言い間違えや単語が出てこないことがあるといい、妻の真理子さん(74)に同席してもらった。

 夫妻は、17年3月末の閉局までの放送内容がすべて記録された38冊のノートをめくりながら、話を聞かせてくれた。「町が今どうなっているのか伝えるため、ラジオを立ち上げたい」。高橋さんのその思いがきっかけだった。

取材に応じる「りんごラジオ」元局長の高橋厚さん(右)と妻の真理子さん。手前は当時の放送内容が記録されたノート=宮城県山元町で2024年1月28日、手塚耕一郎撮影
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 交流のあった新潟のラジオ局に放送機材を調達してもらい、町役場1階ロビーの一角にブースを構えた。約10人のスタッフのほとんどは高橋さんの話し方教室の生徒たちだった。被災状況のほか安否や生活に関する情報を伝えた。外国人向けに英語や中国語で発信したり、聴覚障害者用にラジオと同じ情報をホームページに掲載したりした。

 そして、りんごラジオが何より大切にしたのが、町民らの生の声を届けることだった。インタビューで語ってもらう日々の暮らしや要望をそのまま放送した。

 遺族の話を聞きながら涙をこらえきれなくなり、中断して音楽をかけたこともあった。放送局のアナウンサー時代には決してなかったことだが、「つらい話を聞いたから泣く。それが普通で、むしろその方がいい」と自らに言い聞かせた。高橋さんも町民の一人だという意識を忘れなかった。

悲しい思いする人なくしたい

花屋を営む塩見公子さん=宮城県山元町で2024年1月29日午後1時5分、根本佳奈撮影
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 町で花屋を30年以上営む塩見公子さん(72)は自宅を津波で流された。県外に避難したが、「春の彼岸に花がほしい」という声を聞いて戻った。震災から約10日後、店を再開させると、津波の犠牲者に供える花を買い求める町民が次々と訪れた。店ではいつもりんごラジオが流れていた。「知り合いが近況を話す声を聞いて元気にやっているんだと安心した。私も頑張らなくちゃと励まされた」

 「日々の会話の5%でも家族や友人と災害への備えについて話し合ってほしい」。高橋さんは取材に、災害情報と防災意識の大切さを繰り返し訴えた。震災当日、周りの人たちに津波に注意するよう伝えられなかった後悔があるからだ。

津波で長男を亡くした男性。関係者から聞いた当日の動きや経緯などが書かれた資料を見つめる=宮城県山元町で2024年1月28日、手塚耕一郎撮影(画像の一部を加工しています)
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 震災時、町の審議会の委員として町役場にいた高橋さんは内陸部の自宅に戻った。しかし、一緒にいた委員2人は海沿いの自宅などに向かって命を落とした。

 りんごラジオのリスナーだった男性の39歳の長男も町役場にいた。町職員として避難を呼びかけるために車で沿岸部に向かい、津波に遭った。男性宅を訪ねると、町の防災計画や新聞記事など多くの資料であふれていた。手書きの文字でびっしり埋まる紙が何枚も収められたファイルもあった。関係者に聞き取って調べた長男の当日の動きや経緯が書き留められていた。

取材する根本佳奈記者=宮城県山元町で2024年1月28日、手塚耕一郎撮影
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 仏壇の前で、男性は「悔しいよ」とつぶやく。なぜ、息子は亡くならなければならなかったのか。13年間、その答えを探し求め、今も情報を集め続けていた。

 2月下旬、能登半島地震で妻子を亡くした男性も「忙しい日々の中ほっと一息ついたときに苦しくなる」と話した。そして、日ごろの備えの大切さを強く訴えていた。これ以上悲しい思いをする人を生まないためにも、その声を受け止め、伝え続けなければならない。

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